2σ Guide

ファントムストック・SARの活用場面と実務設計

株式を渡さず企業価値連動報酬を設計するために、会社法、税務、会計、労務、M&A、IPOの論点を横断的に確認します。

13主な活用場面
3式基本計算式
3-5年中長期設計の目安
本ページは株式会社Dプロフェッションズ(医師/医療機関/弁護士/弁護士法人ではありません)が運営しています。
一般的な情報提供を目的としており医療上の助言や法律相談等を行うものではありません。
広告(PR)を掲載しています。広告は編集内容や推奨を意味しません。
Video

ファントムストック・SARの活用場面と実務設計

株式を渡さず企業価値連動報酬を設計するために、会社法、税務、会計、労務、M&A、IPOの論点を横断的に確認します。

動画を読み込み中…
2σ GUIDE ・ VIDEO
ファントムストック・SARの活用場面と実務設計
株式を渡さず企業価値連動報酬を設計するために、会社法、税務、会計、労務、M&A、IPOの論点を横断的に確認します。
動画の文字起こし(全文テキスト)

2σ GUIDE ・ VIDEO

  • ファントムストック・SARの活用場面と実務設計
  • 株式を渡さず企業価値連動報酬を設計するために、会社法、税務、会計、労務、M&A、IPOの論点を横断的に確認します。

POINT 1

  • ファントムストック・SARの活用場面の全体像
  • 株式を渡さず企業価値連動報酬を設計する場面と注意点を整理します
  • 株式を渡さず価値を共有
  • 役員・従業員・キーパーソン
  • 契約・税務・会計を同時設計

POINT 2

  • ファントムストック・SARの定義とストックオプションとの違い
  • 金銭決済型の報酬制度として、株主権や希薄化の有無を確認します
  • 2. 用語の定義 ― ファントムストック、SAR、ストックオプションの違い
  • 2.1 ファントムストックとは
  • 2.2 SARとは

POINT 3

  • ファントムストック・SARの活用場面が注目される背景
  • 3. ファントムストック・SARの活用場面が注目される背景
  • 3.1 人材獲得競争と中長期インセンティブの必要性
  • 3.2 実株式を渡しにくい会社が多い
  • 人材獲得、資本政策、報酬ガバナンスの三つの観点から導入理由を整理します

POINT 4

  • ファントムストック・SARの活用場面 ― 非上場会社・スタートアップ・同族会社・上場会社
  • 典型的な導入場面ごとに、向く理由と手続上の注意点を確認します
  • 5. 活用場面1 ― 非上場会社で株主を増やしたくない場合
  • 5.1 非上場会社では「株主を増やすこと」自体がコストになる
  • 5.2 ファントムストック・SARなら株主権を発生させない

POINT 5

  • ファントムストック・SARの活用場面 ― 海外人材・M&A・PE・研究開発・再生局面
  • 1. 基準価値と対象者を決める:買収時価値、投資時価値、対象者範囲、ポイント配分を明確にします。
  • 2. KPIと在籍条件を管理する:EBITDA、顧客維持率、PMI完了、在籍条件、不正時の失効条件を追跡します。
  • 3. Exit価値と支払上限を確認する:取引費用、エスクロー、補償留保、退職者の扱いを反映して支払額を決めます。

POINT 6

  • ファントムストック・SARが向かない場面と導入前の限界確認
  • 現金支払能力、評価方法、株主権付与の必要性を先に見極めます
  • 導入しない合理性も設計判断の一部です
  • 18. ファントムストック・SARが向かない場面
  • 18.1 会社に将来の現金支払能力がない場合

POINT 7

  • ファントムストック・SARの会社法・税務・会計・労務・開示論点
  • 1. 対象者を確認:取締役、従業員、外部委託者、海外人材を分類します。
  • 2. 職務対価かを確認:報酬等、賃金、業務委託報酬のどれに近いかを確認します。
  • 3. 報酬決議・役員給与を確認
  • 4. 労働条件・源泉徴収を確認

POINT 8

  • ファントムストック・SARの制度設計 ― 計算式・数値例・契約条項
  • 支払額の算定式と契約条項を、紛争予防の観点から整理します
  • 24. 制度設計の基本構造
  • 24.1 制度設計で決めるべき事項
  • 24.2 ファントムストック型の基本計算式

まとめ

  • ファントムストック・SARの活用場面と実務設計
  • ファントムストック・SARの活用場面の全体像:株式を渡さず企業価値連動報酬を設計する場面と注意点を整理します
  • ファントムストック・SARの定義とストックオプションとの違い:金銭決済型の報酬制度として、株主権や希薄化の有無を確認します
  • ファントムストック・SARの活用場面 ― 非上場会社・スタートアップ・同族会社・上場会社:典型的な導入場面ごとに、向く理由と手続上の注意点を確認します
  • 本動画は一般的な情報提供であり、法律上の助言ではありません。記載の数値・金額・期間は目安です。個別事情で結論は変わります。
Overview

ファントムストック・SARの活用場面の全体像

株式を渡さず企業価値連動報酬を設計する場面と注意点を整理します

次の重要ポイントは、ファントムストック・SARの活用場面を導入目的から読むための一覧です。制度名だけで判断すると税務・会計・労務の論点を見落としやすいため重要であり、どの目的で誰に付与する制度なのかを最初に確認してください。

目的

株式を渡さず価値を共有

実株式の交付を避けながら、企業価値や株価上昇に連動する報酬を設計します。

対象

役員・従業員・キーパーソン

非上場会社、スタートアップ、M&A後の経営陣、海外人材などで使い分けます。

要点

契約・税務・会計を同時設計

株主権を出さない利点の代わりに、現金支払義務や評価紛争を管理します。

1. 要旨 ― ファントムストック・SARの活用場面を一言でいうと何か

ファントムストック・SARの活用場面とは、端的にいえば、実際の株式を交付せずに、株式価値または株価上昇分に連動した経済的インセンティブを役員・従業員・キーパーソンに与えたい場面です。

ファントムストックは、「仮想株式」「疑似株式」と説明されることが多いです。対象者に本物の株式を渡すのではなく、一定数の仮想的な株式単位を付与し、あらかじめ定めた時点で、その株式価値に相当する金銭を支払う制度です。SARは、英語の Stock Appreciation Right の略で、一定の基準価格を超えて株価または企業価値が上昇した場合に、その上昇分を金銭等で受け取る権利をいいます。

両者の共通点は、会社の価値向上と報酬を結びつける点です。相違点は、ファントムストックが「株式価値そのもの」に近い経済価値を与えるのに対し、SARは「基準価格からの上昇分」に焦点を当てる点にあります。したがって、ファントムストックは株式を持っている場合に近い設計になりやすく、SARはストックオプションに近いアップサイド型の設計になりやすいです。

もっとも、ファントムストック・SARは「株式を出さないから簡単」という制度ではありません。むしろ、株式を出さないからこそ、契約上の権利設計、報酬決定手続、税務上の損金算入、源泉徴収、会計上の負債認識、未上場会社の評価、退職・解任時の取扱い、M&A時の精算、海外人材への付与、労働条件化のリスクが集中的に問題となります。

このページの結論は次のとおりです。

  1. ファントムストック・SARは、実株式の発行・移転を避けながら、企業価値向上へのインセンティブを付与したい場合に有効です。
  2. 典型的な活用場面は、非上場会社、スタートアップ、IPO準備会社、同族会社、M&A後のリテンション、海外人材、子会社経営陣、プロ経営者招聘、事業承継、PEファンド投資先、上場会社の現金決済型中長期インセンティブです。
  3. 役員に付与する場合は、会社法上の報酬決定手続と法人税法上の役員給与規制が中心論点になります。
  4. 従業員に付与する場合は、労働契約、就業規則、賃金性、源泉徴収、社会保険、退職時の取扱いが中心論点になります。
  5. 会計上は、現金決済型の株式価値連動報酬として、将来支払義務の見積り、費用認識、負債計上、評価変動、注記・開示を慎重に検討する必要があります。
  6. 実務上もっとも重要なのは、「誰に、何の目的で、いつ、いくら、どの算定式で、どのイベント時に、どの財源で支払うのか」を制度導入前に明文化することです。
Section 01

ファントムストック・SARの定義とストックオプションとの違い

金銭決済型の報酬制度として、株主権や希薄化の有無を確認します

次の比較表は、ファントムストック、SAR、ストックオプションの違いを制度の性質から整理したものです。名称が似ていても会社法・税務・会計の扱いが変わるため重要であり、株式を実際に渡す制度か、金銭で精算する制度かを読み取ってください。

2. 用語の定義 ― ファントムストック、SAR、ストックオプションの違い

2.1 ファントムストックとは

ファントムストックとは、実際の株式を交付しないにもかかわらず、あたかも一定数の株式を保有しているかのように、対象者へ株式価値に連動した金銭を支払う報酬制度です。

日本語では「仮想株式」「疑似株式」「ファントム・ストック」とも呼ばれます。英語では phantom stock または phantom share plan と表記されます。経済産業省資料でも、ファントム・ストックは「株式を付与したと仮想して株価相当の現金を交付する」類型として整理されています[1]。

典型的な計算式は次のようになります。

支払額 = 付与された仮想株式数 × 算定時点の1株当たり価値

または、基準価格を差し引く設計であれば次のようになります。

支払額 = 付与された仮想株式数 ×(算定時点の1株当たり価値 − 基準価格)

前者は、株式価値そのものを反映する設計であり、後者はSARに近い設計です。

ファントムストックの対象者は、本物の株主にはなりません。したがって、原則として、議決権、剰余金配当請求権、残余財産分配請求権、株主総会招集通知を受ける権利、株主提案権、帳簿閲覧権などは発生しません。これらの権利を付与したい場合は、ファントムストックではなく、実株式、種類株式、新株予約権、株式交付型報酬、持株会等の別制度を検討することになります。

2.2 SARとは

SARとは、Stock Appreciation Right の略です。日本語では「株式増価受益権」「株価上昇受益権」「株価連動受益権」などと訳されることがあります。

SARは、対象会社の株価または企業価値が基準価格を上回った場合に、その上昇分を受け取る権利です。経済産業省資料では、SARは「対象株式の市場価格があらかじめ定められた価格を上回る場合に、その差額部分の現金を交付する」類型として整理されています[1]。

典型的な計算式は次のとおりです。

支払額 = 付与単位数 × max(0, 算定価格 − 基準価格)

たとえば、1,000単位のSARを付与し、基準価格を1株1,000円、M&A時の算定価格を1株3,000円と定めた場合、理論上の支払額は次のとおりです。

1,000単位 ×(3,000円 − 1,000円)= 2,000,000円

2.3 このページでいうSARは「新株予約権」ではありません

実務上、もっとも多い混同は、SARを「新株予約権の一種」と誤解することです。制度設計によっては、株式交付型のSAR、株式決済型の株価連動権、あるいは新株予約権とSARを組み合わせた制度を設計することはあり得ます。しかし、このページで中心的に扱うSARは、会社が対象者に対し、株価または企業価値の上昇分に相当する金銭を支払う契約上の報酬制度です。

この区別は実務上重要です。新株予約権であれば、会社法上の募集新株予約権、登記、株式希薄化、資本政策、金融商品取引法、税制適格ストックオプション、株主総会・取締役会決議等が中心論点になります。これに対し、現金決済型SARでは、報酬決定手続、税務上の役員給与、会計上の負債、源泉徴収、労働法、契約上の権利確定条件が中心論点になります。

2.4 ストックオプションとの違い

ストックオプションは、一定の条件で会社の株式を取得できる新株予約権です。株価が上がれば、対象者は低い行使価額で株式を取得し、高い市場価格または売却価格との差額を得ることができます。一方、ファントムストック・SARは、原則として株式取得を予定しません。報酬の支払は金銭で行われます。したがって、既存株主の持株比率は希薄化しないが、会社には現金支払負担が生じます。

次の比較表は、この段落で扱う論点を項目ごとに整理したものです。制度設計や社内判断で見落としを減らすために重要であり、列の違いと各行の注意点を左から順に確認してください。

項目ファントムストックSARストックオプション
法的性質契約上の金銭報酬契約上の金銭報酬新株予約権
対象価値株式価値そのものに近い株価・企業価値の上昇分株式取得による上昇益
株主になるか原則なりません原則なりません行使後に株主になる
希薄化原則なし原則なしあり得ます
会社の現金支出ありあり原則として行使時の支出は限定的
未上場会社での評価問題大きい大きい行使価額・公正価値で問題
役員付与時の会社法論点報酬決定手続報酬決定手続報酬決定手続+新株予約権手続
税務論点役員給与・源泉徴収役員給与・源泉徴収税制適格・非適格等
会計論点現金決済型報酬、負債認識現金決済型報酬、負債認識株式報酬費用、持分・費用認識
Section 02

ファントムストック・SARの活用場面が注目される背景

人材獲得、資本政策、報酬ガバナンスの三つの観点から導入理由を整理します

次の重要ポイントは、ファントムストック・SARの活用場面が増える背景を経営課題ごとに整理したものです。制度導入の理由が曖昧だと契約条項も評価方法もぶれるため重要であり、自社の課題が人材確保、資本政策、報酬ガバナンスのどこにあるかを確認してください。

人材獲得

キーパーソンの退職が企業価値に直結する会社では、中長期の報酬連動が課題になります。

株主管理

非上場会社や同族会社では、株主を増やすこと自体が将来の運営負担になります。

報酬高度化

上場会社では、短期利益だけではなく中長期価値に連動する報酬設計が問われます。

3. ファントムストック・SARの活用場面が注目される背景

3.1 人材獲得競争と中長期インセンティブの必要性

企業価値は、資本だけでなく、人材、知財、データ、ブランド、顧客基盤、プロダクト、M&A遂行能力、海外展開能力によって大きく左右されます。特にスタートアップ、テクノロジー企業、研究開発型企業、プロフェッショナルサービス企業、M&Aを多用する成長企業では、キーパーソンの退職が企業価値に直結します。

そのため、単年度賞与だけでなく、数年単位で会社価値の向上にコミットしてもらう報酬制度が求められます。ファントムストック・SARは、対象者に「会社が成長すれば自分の報酬も増える」という経済的連動を与えることができます。

3.2 実株式を渡しにくい会社が多い

実株式を渡す制度は強力ですが、すべての会社に適しているわけではありません。非上場会社では、株主が増えることにより、株主総会運営、相続、譲渡制限承認、少数株主対応、情報開示、株式買取請求、将来のM&A時の同意取得などの負担が増えます。オーナー会社では、経営権、相続、親族間調整、事業承継との関係が問題になります。スタートアップでは、投資契約、優先株式、ストックオプションプール、IPO審査、反社会的勢力チェック、外部株主との合意との整合性が問題になります。

こうした場合、実株式の交付ではなく、株式価値に連動する金銭報酬としてファントムストック・SARを使う選択肢が生じます。

3.3 ストックオプションが万能ではありません

ストックオプションは日本でも広く使われるが、次のような限界があります。

  • 税制適格ストックオプションの要件を満たせない場合があります。
  • 対象者が海外居住者です場合、現地の証券法、税法、労働法、為替規制が問題になります。
  • 行使価額の設定、権利行使期間、退職時失効、上場・M&A時の取扱いが複雑です。
  • 行使後に株主が増えます。
  • 非上場会社では、行使しても換金機会がない。
  • 株式発行による希薄化が生じます。
  • 役員への付与では会社法・税務・開示の検討負荷が大きいです。

ファントムストック・SARは、これらの問題を完全に解消するものではありませんが、少なくとも「株式を実際に発行・移転しない」という点で、柔軟な代替手段となり得ます。

3.4 コーポレートガバナンス上の報酬設計の高度化

上場会社では、経営陣の報酬を会社の中長期的な業績や企業価値と連動させることが求められています。東京証券取引所のコーポレートガバナンス・コードも、経営陣報酬について中長期的な会社業績や潜在的リスクを反映し、健全な企業家精神の発揮に資するインセンティブ付けを求めている[3]。

このため、現金報酬、短期業績連動賞与、株式報酬、株価連動報酬をどのように組み合わせるかが重要になります。ファントムストック・SARは、実株式交付型の株式報酬と現金賞与の中間に位置する制度として、報酬ポートフォリオの一部になり得ます。

4. ファントムストック・SARの活用場面 ― 総論

ファントムストック・SARの活用場面は、単に「株式を渡したくないとき」ではありません。制度目的を精密に分けると、少なくとも次の類型があります。

次の比較表は、この段落で扱う論点を項目ごとに整理したものです。制度設計や社内判断で見落としを減らすために重要であり、列の違いと各行の注意点を左から順に確認してください。

類型典型場面ファントムストック・SARが向く理由
資本政策保護型非上場会社、同族会社、投資家がいるスタートアップ株主を増やさずに株式価値連動報酬を与えられる
リテンション型CTO、CFO、営業責任者、研究開発人材数年後の価値上昇に報酬を連動させ、退職抑止に使える
M&A・PMI型買収後の経営陣・キーマン維持アーンアウトに似た経済効果を個人報酬として設計できる
事業承継型親族外プロ経営者、幹部社員株式支配を移さずに経営成果を還元できる
海外人材型外国人役員、海外在住従業員実株式・SO付与に伴う現地規制負担を軽減し得る
子会社経営者型グループ会社社長、事業部長親会社株価または子会社価値に連動した報酬を設計できる
PE・MBO型ファンド投資先、経営陣インセンティブExit価値に連動するアップサイドを設計しやすい
上場会社報酬型取締役・執行役員報酬中長期インセンティブを現金決済型で設計できる
IPO準備型上場前の幹部・従業員SO枠や株主管理を温存しながら価値連動報酬を与えられる
キャッシュボーナス代替型定量KPIを企業価値に置き換えたい会社EBITDA、株価、企業価値、Exit価格と報酬を連動できる

以下、各場面を詳述します。

Section 03

ファントムストック・SARの活用場面 ― 非上場会社・スタートアップ・同族会社・上場会社

典型的な導入場面ごとに、向く理由と手続上の注意点を確認します

次の一覧は、ファントムストック・SARの活用場面を資本政策、リテンション、M&A、海外人材などの目的別に整理したものです。目的ごとに向く設計と注意点が変わるため重要であり、自社の導入理由に近い類型から必要な手続を読み取ってください。

5. 活用場面1 ― 非上場会社で株主を増やしたくない場合

5.1 非上場会社では「株主を増やすこと」自体がコストになる

非上場会社では、株式に市場流動性がない。株式を付与された従業員や役員は、退職後にその株式をどう処分するのか、会社は買い戻すのか、相続が起きた場合に誰が株主になるのか、M&A時に全株主の同意をどう取るのかという問題が発生します。

特に中小企業、同族会社、士業法人に近い人的結合の強い会社、研究開発型ベンチャー、親族内承継を控える会社では、株主構成の変動が経営上の重大問題になりやすいです。

5.2 ファントムストック・SARなら株主権を発生させない

ファントムストック・SARは、原則として株式を発行しないため、対象者は株主になりません。したがって、議決権や配当請求権を与えずに、会社価値向上への経済的参加だけを設計できます。

この点は、非上場会社にとって非常に大きいです。会社が対象者に「経営に参加してほしい」「会社価値を上げれば報酬を得られるようにしたい」と考えていても、「株主として恒久的に残ってほしい」とは限らないためです。

5.3 ただし評価方法が最大の争点になる

非上場会社では市場株価がない。そのため、ファントムストック・SARを導入する場合は、1株当たり価値または企業価値をどのように算定するかが最大の論点になります。

次の比較表は、この段落で扱う論点を項目ごとに整理したものです。制度設計や社内判断で見落としを減らすために重要であり、列の違いと各行の注意点を左から順に確認してください。

評価方法内容向いている場面注意点
純資産価額方式貸借対照表上の純資産を基礎にする資産保有会社、不動産会社成長企業の将来価値を反映しにくい
EBITDA倍率方式EBITDAに一定倍率を乗じる収益力のある事業会社倍率の客観性が争点になる
DCF方式将来キャッシュフローを割引く成長企業、投資案件事業計画の恣意性が問題になる
類似会社比較方式上場類似会社の倍率を参照する業界比較が可能な会社類似会社選定が難しい
M&A取引価格連動Exit時の売却価格を用いるM&A前提、PE投資先Exitがないと精算できない
IPO価格連動上場時公募・売出価格等を用いるIPO準備会社上場しない場合の代替条件が必要
取締役会決定方式一定資料に基づき取締役会が決定小規模会社客観性・紛争予防が弱い

評価方法が曖昧だと、退職者、解任された役員、M&A時の対象者、相続人との紛争が起こりやすいです。したがって、制度導入時に「評価基準日」「評価機関」「評価方法」「異議申立ての可否」「会社による裁量の範囲」「不正・重大違反時の失効」「評価費用の負担」を明記する必要があります。

6. 活用場面2 ― スタートアップでストックオプションを補完したい場合

6.1 スタートアップにおける典型的な悩み

スタートアップでは、ストックオプションが採用・リテンションの重要な武器です。しかし、すべての人材にストックオプションを付与することが最適とは限りません。

たとえば、次のような悩みが生じます。

  • ストックオプションプールを使い切りたくない。
  • 投資家との契約上、追加発行に同意が必要です。
  • 対象者が短期的なプロジェクト人材です。
  • 外国人エンジニア・海外居住者にSOを付与すると現地法対応が重いです。
  • 上場までの期間が長く、SOの価値を説明しにくいです。
  • M&A Exitの可能性が高く、現金精算型の方が制度説明しやすいです。
  • 税制適格ストックオプションの要件に適合しない対象者がいます。

このような場合、ファントムストック・SARを補完的に利用することが考えられます。経済産業省のスタートアップ向けガイダンスも、海外在住者・グローバル人材へのインセンティブ付与において、ストックオプション以外にSARやファントムストック等の金銭報酬を検討し得ることを示している[2]。

6.2 ストックオプションの代替ではなく、制度ポートフォリオとして使う

スタートアップ実務では、ファントムストック・SARを「ストックオプションの完全な代替」と考えるよりも、次のような制度ポートフォリオの一部として考える方が実務的です。

次の比較表は、この段落で扱う論点を項目ごとに整理したものです。制度設計や社内判断で見落としを減らすために重要であり、列の違いと各行の注意点を左から順に確認してください。

対象者主たる制度補完制度
創業者普通株式、種類株式役員報酬、賞与
長期コミットする幹部税制適格SO、通常SO、株式報酬SAR、ファントムストック
海外居住者現地法に適合する株式報酬または現金報酬SAR、ファントムストック
業務委託・アドバイザー現金報酬、業務委託報酬条件付きSAR、成功報酬
短期採用の専門人材現金賞与、サインオンボーナスファントムストック型リテンションボーナス
全社員向けSO、持株会、賞与簡易な企業価値連動ボーナス

6.3 IPO準備との関係

IPOを目指す会社では、資本政策の透明性、株主構成、潜在株式比率、関連当事者取引、役員報酬、内部統制、会計処理の整合性が審査上問題になり得ます。

ファントムストック・SARは、実株式を発行しないため潜在株式比率には直接影響しないことが多いです。しかし、将来の現金支払義務である以上、会計上の負債・費用、契約債務、役員報酬、関連当事者取引、重要な後発事象、未払金、偶発債務、内部統制上の承認フローとして問題になり得ます。

IPO準備会社がファントムストック・SARを導入する場合、導入前に、主幹事証券会社、監査法人、顧問弁護士、顧問税理士、社労士と制度設計を共有することが望ましいです。

7. 活用場面3 ― 同族会社・オーナー企業で経営権を移さずに幹部へ報いたい場合

同族会社では、株式は単なる投資商品ではなく、支配権、相続財産、親族関係、経営承継の中核です。幹部社員や外部招聘のプロ経営者に株式を渡すと、創業家の支配比率低下、親族株主との関係の複雑化、退職した元役員が株主として残る問題、相続による株式移転、譲渡制限株式の買取価格紛争、M&A時の少数株主対応などが生じます。

他方で、オーナー会社が親族外のプロ経営者やCFO、営業責任者、工場長、海外責任者を招聘する場合、固定給だけでは十分なインセンティブを与えにくいです。会社価値を大きく上げた場合には、それに見合う成果報酬を与える方が合理的です。

この場面で、ファントムストック・SARは有用です。株式支配を移さずに、会社価値向上の成果を金銭で分配できるからです。

事業承継では、後継者候補、非親族役員、幹部社員の処遇が重要です。後継者に株式を集中させたい一方で、長年会社を支えた幹部にも報いたいというニーズがあります。この場合、株式は後継者または持株会社に集中させ、幹部社員にはファントムストック・SARを付与する設計が考えられます。

ただし、同族会社においては、法人税法上の役員給与規制、同族会社の行為計算否認、過大役員給与、退職給与との関係、親族間の利益移転、相続税評価への影響が問題となり得ます。税務設計は特に慎重に行う必要があります。

8. 活用場面4 ― 上場会社の役員報酬として中長期インセンティブを設計する場合

8.1 上場会社では報酬ガバナンスが中心論点になる

上場会社の取締役・執行役員報酬では、単に金額の多寡だけでなく、報酬がどのような行動を促すかが問われます。短期利益だけに連動する報酬は、研究開発投資、人材投資、コンプライアンス、サステナビリティ投資を犠牲にするおそれがあります。他方、固定報酬に偏りすぎると、経営陣に企業価値向上への強い動機づけを与えにくいです。

ファントムストック・SARは、実株式交付型報酬、譲渡制限付株式、業績連動株式、ストックオプション、現金賞与と並ぶ中長期インセンティブの選択肢になり得ます。

8.2 株式報酬を使いにくい場合の代替

上場会社では、実株式報酬を使うことも可能です。しかし、海外居住役員に株式を交付しにくい、株式交付に伴う各国証券法対応を簡素化したい、希薄化を避けたい、自己株式の確保や株式信託の設計負荷を避けたい、一定期間だけ株価連動報酬を試行したい、といった事情がある場合には、現金決済型のファントムストック・SARが検討されます。

8.3 取締役報酬としての会社法上の手続

取締役が会社から職務執行の対価として受ける財産上の利益は、会社法上の「報酬等」として扱われます。会社法361条は、取締役報酬等について、定款に定めがない場合に株主総会決議による決定を求める基本構造を置いている[4][5]。

特に、ファントムストック・SARは支払額が将来の株価・企業価値により変動するため、単純な固定報酬とは異なります。株主総会決議では、総額上限、算定式、対象者、付与上限、評価期間、支払時期、支払条件、上限額、マルス・クローバック条項等を明確にすることが望ましいです。

取締役会や報酬委員会では、制度目的、対象者選定、KPI、株価連動の妥当性、過度なリスクテイク防止、コンプライアンス違反時の減額・返還、独立社外取締役の関与、開示内容を検討する必要があります。

8.4 法人税法上の役員給与規制

役員給与は、法人税法上、損金算入が厳格に制限されます。ファントムストック・SARが役員に対する株価・業績連動報酬です場合、税務上は業績連動給与等としての要件充足が重要になります。国税庁は、役員給与について、定期同額給与、事前確定届出給与、業績連動給与等の枠組みを示している[6]。

制度の法務的有効性と、税務上の損金算入可否は別問題です。会社法上有効に決議していても、法人税法上の要件を満たさなければ、会社側で損金算入できない可能性があります。逆に、税務上の検討だけで会社法上の報酬決議を省略できるわけでもない。

実務では、導入前に次の確認が必要です。

  • 対象者が法人税法上の役員に該当するか。
  • 報酬が定期同額給与、事前確定届出給与、業績連動給与、退職給与のいずれに該当し得るか。
  • 上場会社または同族会社等の要件に適合するか。
  • 算定指標が利益、株価、市場価格、売上、EBITDA、ROE、TSR等として要件に適合するか。
  • 算定方法が客観的で、所定期限までに開示・決定されているか。
  • 支払時期、上限、対象者、計算式が明確か。
  • 報酬委員会等の手続が税務要件と整合するか。
  • 損金不算入となる場合の税コストを会社が許容できるか。
Section 04

ファントムストック・SARの活用場面 ― 海外人材・M&A・PE・研究開発・再生局面

価値上昇やExitに連動する制度を、対象者とイベント別に検討します

次の時系列は、M&A後のリテンションやPE投資先で報酬を設計するときの典型的な検討順序を表しています。ExitやPMIに連動する制度は金額が大きくなりやすいため重要であり、基準価値、在籍条件、支払財源をどの順番で固めるかを確認してください。

導入時

基準価値と対象者を決める

買収時価値、投資時価値、対象者範囲、ポイント配分を明確にします。

評価期間

KPIと在籍条件を管理する

EBITDA、顧客維持率、PMI完了、在籍条件、不正時の失効条件を追跡します。

精算時

Exit価値と支払上限を確認する

取引費用、エスクロー、補償留保、退職者の扱いを反映して支払額を決めます。

9. 活用場面5 ― 海外人材・非居住者役員にインセンティブを与える場合

グローバル化した企業では、海外居住の役員、外国籍幹部、海外子会社従業員、リモート勤務エンジニア、海外顧問に対してインセンティブ報酬を与えたい場面が増えています。

しかし、実株式やストックオプションを海外人材に付与すると、現地証券法上の募集・開示規制、現地税法上の課税時期・所得区分、為替規制・送金規制、労働法上の賃金・退職時保護、個人情報・雇用契約上の説明義務、源泉徴収・租税条約、日本側の金融商品取引法・外為法、現地法人と日本本社の費用負担契約などが問題になり得ます。

こうした規制対応が重すぎる場合、現金決済型のファントムストック・SARが代替策として検討されます。ただし、ファントムストック・SARが「株式を出さない」制度であっても、海外法務・税務対応が不要になるわけではありません。現地法によっては、株価や会社価値に連動する報酬が、証券規制、デリバティブ規制、賃金規制、退職給付規制、ボーナス規制、外貨送金規制、税務申告義務に関係することがあります。

海外人材向けのファントムストック・SARでは、準拠法・紛争解決条項、税金・社会保険料の本人負担、源泉徴収および会社による控除権限、為替換算日・換算レート、支払通貨、送金制限時の支払猶予、現地法に抵触する場合の修正権限、雇用契約終了時の取扱い、個人情報・税務情報の提供義務、現地法人が雇用主です場合の費用負担を明確にします。

10. 活用場面6 ― M&A後のリテンション、PMI、アーンアウト類似の個人インセンティブ

M&Aでは、買収価格の大部分が、対象会社の将来収益、経営陣、顧客基盤、技術、ノウハウに依存することがあります。買収後に創業者、営業責任者、開発責任者、工場長、主要研究者が退職すると、買収価値が大きく下がる。そのため、買収後数年間のリテンション制度が重要になります。ファントムストック・SARは、対象者に対し、買収後の企業価値向上または特定KPI達成に連動した報酬を与える手段になり得ます。

M&Aでよく使われるアーンアウトは、売主に対し、買収後の業績達成に応じて追加対価を支払う仕組みです。これに対し、ファントムストック・SARは、通常、役員・従業員・キーパーソンに対する報酬制度です。

次の比較表は、この段落で扱う論点を項目ごとに整理したものです。制度設計や社内判断で見落としを減らすために重要であり、列の違いと各行の注意点を左から順に確認してください。

項目アーンアウトファントムストック・SAR
受益者売主株主役員・従業員・キーパーソン
法的性質株式譲渡対価・事業譲渡対価等報酬・賞与・契約上の金銭請求権
税務売主側の譲渡所得等給与所得・退職所得・雑所得等の検討
目的買収価格調整、将来業績リスク分担リテンション、PMI、成果報酬
契約株式譲渡契約等雇用契約、委任契約、報酬規程等

買収後3年間のPMIを成功させるため、対象会社の経営陣に次のようなSARを付与することが考えられます。

対象者 ― 対象会社代表取締役、CFO、営業責任者
基準価格 ― 買収時の株式価値または企業価値
算定価格 ― 3年後の対象会社企業価値、または再売却時の企業価値
KPI ― EBITDA、解約率、主要顧客維持率、内部統制整備、PMI完了
支払条件 ― 3年間在籍、重大な表明保証違反・不正がないこと
支払方法 ― 現金、一括または分割
上限 ― 対象者ごとに総額上限を設定
失効 ― 競業、秘密保持違反、重大なコンプライアンス違反、懲戒解雇

このような制度では、買主側の財務負担、対象会社のキャッシュフロー、連結会計、役員報酬、労務管理、税務源泉徴収を同時に検討する必要があります。

11. 活用場面7 ― PEファンド投資先・MBOで経営陣にアップサイドを与える場合

PEファンド投資先では、経営陣に対し、企業価値向上とExit時のリターンを共有する制度が重要になります。一般的には、経営陣による株式取得、種類株式、ストックオプション、役員持株制度、成功報酬などが検討されます。

しかし、経営陣に株式を持たせると、資金拠出、少数株主権、Drag-along、Tag-along、退職時買戻し、M&A実行時の同意、税務、株主間契約が複雑になります。そこで、ファントムストック・SARを用いて、Exit価値に連動した現金報酬を設計することがあります。

典型的には、次のような設計が考えられます。

基準企業価値 ― ファンド投資時の企業価値
算定企業価値 ― Exit時の売却価格または上場時時価総額
対象プール ― 基準企業価値を超える増加価値の一定割合
対象者 ― CEO、CFO、COO、事業責任者
分配方法 ― 職位・貢献度・在籍期間に応じたポイント制
支払時期 ― Exit代金受領後一定期間内
支払上限 ― 全体プールおよび個人別上限
失効条件 ― Bad leaver、重大な義務違反、不正会計、競業

Exit連動型のファントムストック・SARは、支払額が大きくなりやすいです。そのため、Exitの定義、企業価値の定義、取引費用控除、アーンアウト部分の取扱い、エスクロー・補償留保、為替、退職者、支払財源を明確にする必要があります。

12. 活用場面8 ― 子会社・事業部の経営陣に成果連動報酬を与える場合

大企業グループでは、子会社社長、事業部長、海外拠点長に、グループ全体の株価だけでなく、自ら担当する子会社・事業部の価値向上を意識させたい場面があります。

親会社の株式報酬だけでは、子会社経営陣の努力と報酬の関係が薄くなることがあります。そこで、子会社価値、事業部利益、ROIC、EBITDA、売上成長率、キャッシュフロー、M&A価値に連動するファントムストック・SARを設計することが考えられます。

子会社経営陣に子会社株式を渡すと、グループ再編、完全子会社化、吸収合併、事業譲渡、少数株主対応が複雑になります。ファントムストック・SARであれば、子会社株式を交付せずに、子会社価値に連動した報酬を設計できます。

子会社向け制度では、誰が債務者になるかが重要です。親会社が対象者に直接支払うのか、子会社が支払うのか、親会社が子会社に費用を請求するのか、出向者の場合に出向元・出向先のどちらが費用負担するのか、海外子会社の場合に移転価格税制へ影響しないかを確認します。

13. 活用場面9 ― 研究開発型企業・知財企業で長期成果を評価する場合

創薬、医療機器、AI、半導体、素材、宇宙、再生医療、ロボティクス、SaaS、知財ライセンスビジネスなどでは、研究開発の成果が数年後に企業価値として現れることがあります。単年度売上や営業利益だけで評価すると、長期的価値創造に報いにくいです。

ファントムストック・SARは、研究開発人材、CTO、CPO、知財責任者、事業開発責任者に対し、企業価値向上に連動した報酬を与える手段になり得ます。

研究開発型企業では、単純な株価連動だけでなく、特許出願・登録、臨床試験フェーズ移行、薬事承認、共同研究契約締結、ライセンス契約締結、プロダクト正式リリース、ARR到達、技術売却・事業売却、上場またはM&Aといったマイルストーンを組み合わせる設計が有効です。

ただし、KPIが複雑すぎると、制度説明が困難になり、会計上の見積りも難しくなります。制度目的に照らし、評価指標は少数で客観的なものに絞る必要があります。

14. 活用場面10 ― 退職金・長期勤続報酬を企業価値に連動させたい場合

企業によっては、役員や幹部社員に対し、退任・退職時に企業価値に連動した金銭を支払う制度を設けたい場合があります。これは、退職慰労金、長期インセンティブ、企業価値連動ボーナスの中間的な制度です。

退職時精算型では、対象者が一定期間在籍し、退職時に会社価値が上昇していれば、仮想株式数に応じて金銭を支払う。ただし、「退職時に払うから退職所得」とは限りません。所得税法上、退職所得として扱われるか、給与所得・賞与として扱われるかは、制度の性質、支払理由、勤務関係、権利確定時期、退職に基因する一時金かどうか等により判断されます。

会社側でも、役員退職給与として損金算入できるか、過大退職給与に該当しないか、事前確定届出給与や業績連動給与との関係がどうなるかを検討しなければなりません。

15. 活用場面11 ― 外部アドバイザー・業務委託先に成果報酬を与える場合

スタートアップや成長企業では、外部アドバイザー、顧問、業務委託エンジニア、営業紹介者、M&Aアドバイザー、共同研究者に、会社価値向上に連動した報酬を与えたいことがあります。ファントムストック・SARは、雇用関係を前提としない契約上の成功報酬として設計することも理論上可能です。

ただし、外部協力者への付与では、業務委託報酬か給与か、源泉徴収義務があるか、消費税の課税関係はどうなるか、金融商品取引法上の規制に触れないか、成果報酬が過大でないか、反社会的勢力チェックを行っているか、利益相反がないか、秘密保持・競業避止・知財帰属との関係はどうか、役務提供が終了した後も権利が残るかが問題となります。

外部アドバイザーに対する制度は、従業員向け制度よりも契約自由度が高い反面、報酬の性質、課税、コンプライアンス、利益相反の説明責任が重くなります。

16. 活用場面12 ― キャッシュボーナスを企業価値連動型に再設計する場合

多くの会社では、役員・従業員の賞与が単年度利益や売上に連動しています。しかし、単年度KPIだけでは、長期的な企業価値向上と整合しないことがあります。短期利益を増やすために研究開発費を削減する、広告投資を抑える、人材採用を先送りする、必要なコンプライアンス投資を後回しにすると、短期賞与は増えても企業価値は毀損します。

この場合、ファントムストック・SARを単年度賞与とは別枠の長期インセンティブとして設計できます。例として、3年間の評価期間を置き、株価または企業価値、EBITDA、ROIC、TSR、ARR、営業キャッシュフロー、顧客継続率、従業員エンゲージメント、コンプライアンス重大違反がないこと、内部統制上の重要な不備がないことを組み合わせる。

財務指標と非財務指標を組み合わせると、短期主義を抑制しつつ、企業価値向上への動機づけを設計できます。

17. 活用場面13 ― 倒産・再生・ターンアラウンド局面で再建インセンティブを設計する場合

事業再生、私的整理、民事再生、スポンサー支援、金融機関調整、ターンアラウンド局面では、経営陣や再建人材に高い負荷がかかる。他方で、会社のキャッシュは制約されており、十分な固定報酬を支払えないことがあります。

このような場合、再建成功時の企業価値、債務削減、営業利益回復、スポンサーExit等に連動したファントムストック・SARを検討することがあります。

ただし、再生局面では、債権者、スポンサー、裁判所、監督委員、管財人、金融機関、従業員、取引先の利害が絡みます。経営陣だけに高額報酬を与える制度は、説明責任を欠くと反発を招きます。再建計画との整合性、債権者への説明可能性、支払上限、成功条件の客観性、不正・粉飾・法令違反時の失効、支払時期のキャッシュフロー管理、取締役の善管注意義務・利益相反、税務・会計上の処理を確認する必要があります。

Section 05

ファントムストック・SARが向かない場面と導入前の限界確認

現金支払能力、評価方法、株主権付与の必要性を先に見極めます

次の重要ポイントは、ファントムストック・SARが向かない場面をリスク別に整理したものです。制度を使わない判断も実務では重要であり、現金支払能力、評価方法、株主権付与の必要性を先に見極めてください。

導入しない合理性も設計判断の一部です

評価方法が曖昧で、支払財源がなく、対象者に株主権を与える必要がある場合は、固定賞与、実株式、ストックオプションなど別制度との比較が必要です。

18. ファントムストック・SARが向かない場面

ファントムストック・SARは有用な制度ですが、万能ではありません。次のような場合には、慎重な検討または別制度の選択が必要です。

18.1 会社に将来の現金支払能力がない場合

ファントムストック・SARは、原則として現金決済です。会社価値が上がるほど支払額も増えるため、会社にとっては将来のキャッシュアウトが発生します。特に、IPOやM&Aがなく、会社の価値は上がったが現金は不足しているという場合、支払不能に近い問題が起こり得ます。制度設計では、支払上限、分割払い、支払猶予、取締役会による支払時期調整、キャッシュフロー条件を設けることが重要です。

18.2 評価方法に合意できない場合

非上場会社では、企業価値評価が争点になりやすいです。対象者が「会社価値はもっと高い」と主張し、会社が「計算上は低い」と主張すれば、紛争になります。評価方法を明確にできない会社では、ファントムストック・SARよりも、固定賞与、KPI賞与、退職金、実株式、ストックオプション等の方が適する場合があります。

18.3 対象者に株主としての権利を与えたい場合

対象者を本当に経営共同体の一員にしたい場合、議決権や配当権を持たせたい場合、M&A時に売主として参加させたい場合には、ファントムストック・SARでは不十分です。この場合は、普通株式、種類株式、持株会、新株予約権、株式交付型報酬等を検討する必要があります。

18.4 税務上の損金算入が制度目的の中心です場合

役員向けファントムストック・SARでは、法人税法上の役員給与規制が大きな制約になります。損金算入が不可欠ですにもかかわらず、業績連動給与等の要件を満たせない場合、制度導入による税コストが大きくなる可能性があります。

18.5 対象者への説明が困難な場合

制度が複雑すぎると、対象者にとってインセンティブになりません。対象者が「結局いくらもらえるのか」「何をすれば価値が上がるのか」「いつ支払われるのか」を理解できない制度は、報酬制度として機能しにくいです。

Section 06

ファントムストック・SARの会社法・税務・会計・労務・開示論点

対象者の属性に応じて、報酬決議、損金算入、負債認識、賃金性を確認します

次の判断の流れは、役員・従業員・外部協力者に付与する場合の主要論点を分けるものです。対象者の属性により会社法、税務、労務、会計の中心論点が変わるため重要であり、最初の分岐で必要な専門確認を読み取ってください。

対象者別の確認順序

対象者を確認

取締役、従業員、外部委託者、海外人材を分類します。

職務対価かを確認

報酬等、賃金、業務委託報酬のどれに近いかを確認します。

役員
報酬決議・役員給与を確認
従業員等
労働条件・源泉徴収を確認

19. 会社法上の主要論点

19.1 取締役に対する報酬等としての位置づけ

取締役に対してファントムストック・SARを付与する場合、通常は会社法上の報酬等として扱われます。会社法上、取締役が会社から職務執行の対価として受ける財産上の利益については、定款に定めがない場合、株主総会決議により定める必要があります[4][5]。

ファントムストック・SARは金銭報酬ですが、将来の株価や企業価値によって金額が変動します。したがって、単に「役員報酬総額の範囲内」とするだけで足りるか、別枠決議や算定方法の明示が必要かを検討する必要があります。

実務上は、少なくとも次の事項を株主総会決議、取締役会決議、報酬規程、個別契約で整理します。

  • 対象となる取締役・執行役員の範囲
  • 付与単位数または付与上限
  • 算定式
  • 評価期間
  • 基準価格
  • 算定価格
  • 支払時期
  • 支払上限
  • 業績条件
  • 在籍条件
  • 退任・解任・死亡時の取扱い
  • 不正・法令違反時の失効、減額、返還
  • 支払財源
  • 個人別配分の決定方法
  • 報酬委員会または独立社外取締役の関与

19.2 監査役、監査等委員、社外取締役への付与

監査役、監査等委員、監査委員、独立社外取締役に対して株価連動報酬を付与する場合は、独立性との関係を慎重に検討する必要があります。監督・監査を担う者に強い株価連動インセンティブを与えると、短期的な株価上昇を優先し、監査・監督の独立性を損なう懸念が生じます。特に社外取締役については、経営陣と同じ業績連動報酬を与えることが適切か、固定報酬中心とすべきかを検討する必要があります。

19.3 利益相反・特別利害関係

取締役が自らの報酬制度を決定する場合、利益相反・特別利害関係の管理が重要です。取締役会で具体的な個人別報酬を決定する場合、対象取締役が決議に参加してよいか、報酬委員会へ委任すべきか、社外取締役の関与をどう確保するかを検討する必要があります。

19.4 株式交付型に変形する場合

ファントムストック・SARを将来、株式交付型に変更する場合、または支払を現金ではなく株式で行う場合には、会社法上の募集株式・自己株式処分・新株予約権等の手続が問題になります。現金決済型として導入した制度を、会社の裁量で株式決済へ変更できるようにする場合でも、対象者の同意、株主総会決議、金融商品取引法上の手続、税務上の取扱いを検討しなければなりません。

20. 税務上の主要論点

20.1 役員給与としての損金算入制限

法人税法上、役員に対する給与は、原則として損金算入できる範囲が限定されています。代表的には、定期同額給与、事前確定届出給与、一定の要件を満たす業績連動給与等が問題となります[6]。

ファントムストック・SARは、株価、市場価格、利益、企業価値、Exit価格等に連動するため、役員に付与する場合は、業績連動給与としての要件充足が中心論点になることが多いです。

実務上は、次の確認が必要です。

  • 対象会社が業績連動給与の損金算入要件を満たし得る会社か。
  • 対象者が業務執行役員か、非業務執行役員か。
  • 指標が税法上認められる業績指標に該当するか。
  • 算定方法が客観的か。
  • 有価証券報告書等での開示要件を満たすか。
  • 報酬委員会等の決定手続が必要か。
  • 支払時期が要件に合うか。
  • 上限額が明確か。
  • 不正時の減額・返還が税務上どう扱われるか。

20.2 損金算入と制度導入の意思決定を分ける

経営上、損金算入できなくても制度導入に意味がある場合はあります。たとえば、極めて重要な人材のリテンション、M&A後の価値維持、海外人材獲得などでは、税コストを負担してでも導入する合理性があるかもしれない。

しかし、損金算入できると誤認して制度を導入すると、後日、税務調査で否認され、法人税・加算税・延滞税が発生する可能性があります。したがって、取締役会資料では、税務上の取扱いについて「確認済み」「未確認」「損金不算入リスクあり」を明確にする必要があります。

20.3 対象者側の所得区分

対象者側では、支払を受けた金銭が給与所得、賞与、退職所得、雑所得、事業所得等のいずれになるかが問題になります。

一般的に、役員・従業員が勤務・職務執行の対価として受ける金銭は、給与所得または退職所得として扱われる可能性が高いです。ただし、退職時支払だから当然に退職所得となるわけではありません。また、外部業務委託者に対する支払では、事業所得・雑所得・源泉徴収・消費税の検討が必要になります。

20.4 源泉徴収・社会保険

ファントムストック・SARの支払が給与・賞与に該当する場合、会社には源泉徴収義務が生じます。社会保険・労働保険上の報酬・賞与に該当するかも検討する必要があります。

特に高額支払の場合、源泉徴収漏れ、社会保険料の算定漏れ、賞与支払届、年末調整、支払調書、海外居住者への源泉徴収が問題になりやすいです。

20.5 非居住者・海外勤務者

非居住者に対する支払では、日本での源泉徴収義務、国内源泉所得、租税条約、現地課税、二重課税、外国税額控除、給与負担先、勤務期間按分が問題になります。

海外勤務者に付与したSARが、日本勤務期間中に付与され、海外勤務期間中に権利確定し、帰国後に支払われるような場合、課税関係は複雑になります。制度導入時点から、対象者の居住国・勤務国・支払国を整理する必要があります。

21. 会計上の主要論点

21.1 現金決済型の株式価値連動報酬として考える

ファントムストック・SARは、実株式を交付しない現金決済型の報酬制度です。したがって、会社は将来、株価または企業価値に応じて金銭を支払う義務を負う可能性があります。

会計上は、制度設計に応じて、費用認識、負債計上、見積り変更、評価差額、権利確定条件、勤務条件、業績条件、支払可能性を検討する必要があります。

21.2 日本基準上の実務的課題

日本の会計基準では、ストックオプションや株式報酬に関する基準は整備されているが、現金決済型の株価連動報酬については、詳細な実務基準が十分に明文化されていない領域が残ります。財務会計基準機構・企業会計基準委員会の資料でも、株価連動型賞与やSARのような現金決済型株式報酬について、現行の日本基準上、明確な会計基準がない領域として整理されています[8]。

上場準備会社、上場会社、連結グループでは、制度導入時に次の点を確認します。

  • いつ費用を認識するか。
  • どの期間に費用配分するか。
  • 負債として計上するか。
  • 期末ごとに再測定するか。
  • 株価・企業価値の変動をどのように反映するか。
  • 未上場会社の公正価値をどう見積もるか。
  • 権利未確定者の失効見込みを反映するか。
  • M&A・IPO・退職時の支払義務をどう表示するか。
  • 重要性がある場合、注記・開示が必要か。

21.3 会計処理は制度設計に従属する

会計処理は、契約条項に大きく左右されます。たとえば、会社が支払を完全に裁量で決められる制度と、対象者に法的請求権が発生する制度では、負債認識の判断が異なります可能性があります。勤務条件のみで権利確定する制度と、業績条件・Exit条件がある制度でも、費用認識期間や見積りが変わります。

したがって、法務が契約書を作成した後に会計が処理を考えるのでは遅い。制度設計の初期段階から、公認会計士・監査法人・経理部門を関与させる必要があります。

22. 労務上の主要論点

22.1 従業員向け制度では賃金性が問題になる

従業員に対してファントムストック・SARを付与する場合、その支払が労働基準法上の賃金に該当するかが問題になります。労務提供の対価として、制度上当然に支払われるものになっている場合、賃金性が認められる可能性があります。

賃金に該当する場合、賃金支払の原則、就業規則への記載、労働条件明示、割増賃金算定基礎、退職時支払、平均賃金、社会保険、労働保険等への影響を検討しなければなりません。厚生労働省・労働局資料は、労働基準法24条の賃金支払原則として、通貨払い、直接払い、全額払い、毎月1回以上、一定期日払いの考え方を示している[10]。

22.2 裁量的ボーナスか、確定的権利か

会社が「インセンティブだから自由に払う・払わないを決められる」と考えていても、規程や個別通知で具体的な算定式、対象者、支払時期、条件を定めると、対象者に契約上の権利が発生する場合があります。

そのため、制度設計では、付与時点で権利が確定するのか、Vesting前は期待権にすぎないのか、会社の裁量はどこまですのか、業績未達の場合は当然に失効するのか、退職時に未確定分は失効するのか、懲戒解雇・自己都合退職・会社都合退職で差を設けるのか、就業規則・賃金規程との整合性はあるかを明確にします。

22.3 Good Leaver / Bad Leaver条項

ファントムストック・SARでは、退職・退任時の取扱いが紛争の中心になりやすいです。特に、権利確定前に退職した場合、権利確定後だが支払前に退職した場合、不正発覚後に退職した場合、会社都合で退職させた場合を分けて定める必要があります。

次の比較表は、この段落で扱う論点を項目ごとに整理したものです。制度設計や社内判断で見落としを減らすために重要であり、列の違いと各行の注意点を左から順に確認してください。

区分取扱い例
Good Leaver定年、死亡、障害、会社都合退職、任期満了既確定分を維持、未確定分の一部按分
Neutral Leaver自己都合退職、合意退職既確定分のみ維持、未確定分失効
Bad Leaver懲戒解雇、競業、秘密保持違反、不正、重大な善管注意義務違反未払い分失効、支払済み分返還

ただし、労働法上、過度に広い没収条項や違約金的条項は問題になる可能性があります。特に従業員向け制度では、労働基準法、労働契約法、公序良俗、就業規則の合理性を確認する必要があります。

23. 金融商品取引法・開示・インサイダー取引上の論点

ファントムストック・SARは、原則として株式や新株予約権を発行しないため、典型的な有価証券募集とは異なります。しかし、制度設計によっては、金融商品取引法上の有価証券性、デリバティブ性、開示、役員報酬開示、内部者取引規制、適時開示、関連当事者取引の問題が生じる可能性があります。

特に上場会社では、役員報酬制度の内容、業績連動報酬の指標、株価連動報酬の方針、支払額、対象者、報酬委員会の関与について、有価証券報告書、事業報告、コーポレートガバナンス報告書、招集通知等での開示を検討する必要があります。

SARの行使時期や精算時期を対象者が選べる制度では、対象者が未公表の重要事実を知っている場合の公正性が問題になります。現金決済であっても、株価に連動する制度であり、上場会社の役員・従業員が対象であれば、内部者取引規制や社内規程との整合性を慎重に確認する必要があります。

実務上は、精算時期を会社が定める、一定のウィンドウ期間に限定する、決算発表前後を避ける、インサイダー情報保有時の行使・精算制限を設けるといった対応が考えられます。

Section 07

ファントムストック・SARの制度設計 ― 計算式・数値例・契約条項

支払額の算定式と契約条項を、紛争予防の観点から整理します

次の重要ポイントは、支払額の計算式を制度タイプごとに読むための整理です。計算式が契約上の権利と会計上の見積りを左右するため重要であり、基準価格、算定価格、業績係数、上限額のどれが支払額を動かすかを確認してください。

1

価値連動型

仮想株式数に支払時の1株価値を掛ける設計です。

ファントムストック
2

上昇分連動型

算定価格から基準価格を控除した上昇分に連動させます。

SAR
3

上限・係数調整型

業績達成係数や個人別上限で会社負担を調整します。

支払管理

24. 制度設計の基本構造

24.1 制度設計で決めるべき事項

ファントムストック・SARの契約・規程では、最低限、次の事項を決める必要があります。

次の比較表は、この段落で扱う論点を項目ごとに整理したものです。制度設計や社内判断で見落としを減らすために重要であり、列の違いと各行の注意点を左から順に確認してください。

項目内容
制度目的リテンション、企業価値向上、M&A成功、事業承継、海外人材確保等
対象者役員、従業員、執行役員、外部顧問、子会社役員等
付与単位仮想株式数、ポイント、SAR単位数
基準価格付与時の1株価値、企業価値、投資時価値、株価終値等
算定価格支払時の株価、M&A価格、IPO価格、評価機関算定価値等
評価期間1年、3年、5年、Exitまで等
Vesting時間条件、業績条件、在籍条件、マイルストーン条件
支払イベント退職、任期満了、IPO、M&A、年度末、権利行使請求等
支払方法現金、一括、分割、繰延、上限付き
失効条件退職、不正、競業、秘密保持違反、重大な法令違反等
調整条項株式分割、併合、配当、組織再編、増資、減資等
税・社会保険源泉徴収、本人負担、控除権限
紛争解決準拠法、管轄、仲裁、評価紛争の専門家決定
変更・終了会社による制度変更、対象者同意、法令変更対応

24.2 ファントムストック型の基本計算式

支払額 = 仮想株式数 × 支払時1株価値

会社側の負担を調整するため、次のような変形があります。

支払額 = 仮想株式数 ×(支払時1株価値 − 付与時1株価値)
支払額 = 仮想株式数 × 支払時1株価値 × 業績達成係数
支払額 = min(仮想株式数 × 支払時1株価値, 個人別上限額)

24.3 SAR型の基本計算式

支払額 = SAR単位数 × max(0, 算定価格 − 基準価格)

業績係数や上限を入れる場合は、次のようになります。

支払額 = SAR単位数 × max(0, 算定価格 − 基準価格)× 業績達成係数
支払額 = min(SAR単位数 × max(0, 算定価格 − 基準価格), 上限額)

24.4 数値例

例1 ― 非上場会社のSAR

付与対象者 ― CFO
SAR単位数 ― 5,000単位
基準価格 ― 1株1,000円
3年後評価価格 ― 1株2,800円
業績達成係数 ― 80%
5,000 ×(2,800円 − 1,000円)× 80% = 7,200,000円

例2 ― ファントムストック

付与対象者 ― CTO
仮想株式数 ― 2,000株
支払時1株価値 ― 4,000円
支払上限 ― 10,000,000円
2,000 × 4,000円 = 8,000,000円

例3 ― M&A Exit連動型

基準企業価値 ― 20億円
Exit企業価値 ― 50億円
増加価値 ― 30億円
インセンティブプール ― 増加価値の3%
対象者ポイント ― 全体100ポイントのうち20ポイント
インセンティブプール = 30億円 × 3% = 9,000万円
対象者支払額 = 9,000万円 × 20/100 = 1,800万円

25. 契約条項の設計例

以下は、ファントムストック・SAR規程または個別付与契約で検討すべき条項の例です。実際の契約書では、会社形態、対象者、税務、会計、労務、海外法務に応じて調整する必要があります。

25.1 目的条項

制度目的を明記します。例としては、「対象者に対し、当社グループの中長期的な企業価値向上へのインセンティブを付与し、株主その他ステークホルダーとの価値共有を図ることを目的とする」といった表現が考えられます。

25.2 法的性質条項

ファントムストック・SARは株式ではなく、株主権を付与しないことを明記します。

本制度に基づき付与される権利は、当社株式、新株予約権その他の有価証券ではなく、本規程に定める条件に従い金銭の支払を受けることができる契約上の権利です。対象者は、本制度に基づき、議決権、配当請求権、残余財産分配請求権その他株主としての権利を取得しません。

25.3 付与条項

付与単位数、付与日、基準価格、対象者を明記します。

25.4 Vesting条項

在籍期間、業績条件、マイルストーン、任期満了等を定めます。3年から5年程度の中長期設計が多いが、M&A・研究開発・事業再生ではイベント連動型も考えられます。

25.5 支払条項

支払イベント、支払時期、支払方法、源泉徴収、社会保険料控除、支払上限、分割払い、支払猶予を定めます。

25.6 退職・退任条項

Good Leaver / Bad Leaverの定義を定めます。退職理由の判断者、異議申立て、死亡・障害・定年・会社都合退職の扱いも明確にします。

25.7 マルス・クローバック条項

不正会計、重大な法令違反、虚偽報告、秘密保持違反、競業、会社への重大損害、後日判明したKPI誤りがある場合、未払い分を減額・失効し、支払済み分の返還を求める条項を設けることがあります。ただし、従業員向け制度では、返還条項が労働法上有効か慎重に検討する必要があります。

25.8 調整条項

株式分割、株式併合、無償割当、剰余金配当、増資、減資、合併、会社分割、株式交換、株式移転、株式交付、事業譲渡、M&A、上場廃止等が起きた場合の調整を定めます。

25.9 評価紛争条項

非上場会社では、評価紛争を避けるため、評価機関の指定、第三者専門家による決定、評価費用の負担、評価への異議制限を定めます。

25.10 法令・税務変更条項

税制、会計基準、証券規制、労働法、海外法の変更により制度維持が困難になった場合、会社が合理的範囲で制度を修正できる条項を設ける。

Section 08

ファントムストック・SARの導入プロセスとチェックリスト

導入前に関与すべき専門家、確認事項、場面別の推奨設計を整理します

26. 導入プロセス ― 誰が、どの順番で関与すべきか

ファントムストック・SARの導入では、複数専門家の関与が必要です。

次の比較表は、この段落で扱う論点を項目ごとに整理したものです。制度設計や社内判断で見落としを減らすために重要であり、列の違いと各行の注意点を左から順に確認してください。

役割主な担当
経営者・CFO制度目的、支払財源、対象者、財務影響
法務担当・企業内弁護士会社法、契約、取締役会、株主総会、規程整備
外部弁護士制度設計、会社法、労務、M&A、海外法務、紛争予防
税理士法人税、所得税、源泉徴収、役員給与、国際税務
公認会計士・監査法人費用認識、負債計上、評価、開示、IPO対応
社会保険労務士賃金性、就業規則、社会保険、退職時取扱い
司法書士株式・新株予約権型に変形する場合の登記等
報酬委員会・社外取締役報酬ガバナンス、客観性、説明責任
人事部対象者説明、評価制度、労働条件、運用
経理部支払処理、源泉徴収、会計仕訳、管理台帳
内部監査・内部統制承認フロー、証跡、J-SOX、規程遵守

実務上は、次の順序で進めるとよいでしょう。

  1. 制度目的を明確にします。
  2. 対象者を分類します。
  3. 実株式・SO・現金賞与との比較を行います。
  4. 税務上の損金算入可能性を初期検討します。
  5. 会計上の処理方針を監査法人と協議します。
  6. 支払財源とキャッシュフローを試算します。
  7. 計算式、評価方法、支払条件を設計します。
  8. 会社法上の決議手続を整理します。
  9. 労働条件・就業規則との整合性を確認します。
  10. 海外対象者がいる場合は現地法を確認します。
  11. 規程・個別契約・説明資料を作成します。
  12. 取締役会・株主総会・報酬委員会等で決議します。
  13. 対象者へ説明し、同意を取得します。
  14. 管理台帳、会計処理、源泉徴収フローを整備します。
  15. 年次で評価・見直しを行います。

27. 導入前チェックリスト

27.1 目的・対象者チェック

  • 制度目的はリテンションか、業績連動か、Exit連動か。
  • 対象者は役員か、従業員か、外部委託者か。
  • 対象者に株主権を与える必要は本当にないか。
  • 対象者に制度を説明したとき、インセンティブとして理解されるか。
  • 対象者が海外居住者でないか。

27.2 法務チェック

  • 取締役に対する報酬等として株主総会決議が必要か。
  • 既存の役員報酬枠で足りるか、別枠決議が必要か。
  • 報酬委員会・指名報酬委員会の関与が必要か。
  • 取締役会決議で対象者・付与数・算定式を明確にしているか。
  • 個別契約で株主権が発生しないことを明記しているか。
  • 退職・解任・死亡・不正時の取扱いを定めているか。
  • M&A、IPO、組織再編時の扱いを定めているか。

27.3 税務チェック

  • 役員給与として損金算入できるか。
  • 業績連動給与の要件を満たすか。
  • 支払時期・算定方法・開示要件を確認したか。
  • 所得区分を確認したか。
  • 源泉徴収・年末調整・支払調書を確認したか。
  • 社会保険・労働保険への影響を確認したか。
  • 非居住者・海外勤務者の課税関係を確認したか。

27.4 会計チェック

  • 費用認識時期を確認したか。
  • 負債計上の要否を確認したか。
  • 公正価値・企業価値の見積り方法を定めたか。
  • 期末再測定の要否を確認したか。
  • IPO・監査対応上の説明資料を準備したか。
  • 重要性がある場合の注記・開示を検討したか。

27.5 労務チェック

  • 就業規則・賃金規程への記載が必要か。
  • 賃金性があるか。
  • 退職時の支払・失効が合理的か。
  • 懲戒解雇時の没収条項が過度でないか。
  • 労働条件通知書・雇用契約書と整合しているか。
  • 対象者への説明と同意を取得しているか。

28. ファントムストック・SARの活用場面別の推奨設計

次の比較表は、この段落で扱う論点を項目ごとに整理したものです。制度設計や社内判断で見落としを減らすために重要であり、列の違いと各行の注意点を左から順に確認してください。

活用場面推奨される制度設計注意点
非上場会社の幹部報酬SAR型、評価機関算定、支払上限あり評価紛争、キャッシュアウト
スタートアップ採用SO+SARの併用IPO審査、会計処理、対象者説明
同族会社のプロ経営者ファントムストック型またはSAR型役員給与、過大報酬、支配権維持
海外人材現金決済型SAR現地法、租税条約、為替
M&A後リテンションExit・EBITDA連動型SARアーンアウトとの区別、PMI指標
PE投資先Exit価値連動型プールGood/Bad Leaver、スポンサーとの契約整合性
子会社経営者子会社価値連動SARグループ内費用負担、移転価格
上場会社役員株価・TSR連動型、報酬委員会関与開示、インサイダー、損金算入
研究開発人材マイルストーン+企業価値連動KPIの客観性、長期評価
事業承継株式集中+ファントム報酬相続税、親族間説明、役員退職金
Section 09

ファントムストック・SARのよくある誤解と実務判断

会社法手続、税務、評価、退職時失効など、誤解が生じやすい論点を確認します

29. よくある誤解と実務上の回答

29.1 「株式を出さないから会社法手続は不要」なのか

不要とは限りません。対象者が取締役であり、職務執行の対価として金銭的利益を受ける場合、会社法上の報酬等として株主総会決議等が必要になります。実株式を出さないことと、役員報酬規制が不要ですことは別問題です。

29.2 「現金で払うから税務は普通の賞与と同じ」なのか

単純ではありません。従業員向けであれば賞与に近い処理となる場合が多いが、役員向けでは法人税法上の役員給与規制が問題になります。特に株価・業績連動型の報酬は、損金算入要件を慎重に確認する必要があります。

29.3 「ファントムストックなら株主になりませんので完全に安全」なのか

株主にはなりませんが、別のリスクがあります。将来の現金支払義務、会計上の負債、評価紛争、退職時トラブル、税務否認、源泉徴収漏れ、労働条件化、海外法違反のリスクがあります。

29.4 「未上場会社でも使える」か

使える。ただし、未上場会社では市場株価がないため、評価方法を明確にする必要があります。評価機関、算定基準、評価基準日、M&A時の価格調整、異議申立て手続を定めることが重要です。

29.5 「SARとストックオプションは同じ」か

同じではありません。ストックオプションは株式取得権を中核とする新株予約権です。現金決済型SARは、株価または企業価値の上昇分を金銭で受け取る契約上の権利です。

29.6 「退職したら全部失効にしてよい」か

常に有効とは限りません。役員か従業員か、権利確定前か後か、退職理由、制度説明、就業規則、労働法、公序良俗により判断が変わります。特に従業員向け制度では、過度な没収条項は慎重に検討する必要があります。

29.7 「会社が自由に評価額を決められる」か

契約上そのように書いても、恣意的な評価は紛争を招きます。対象者にとって報酬の中核である以上、評価方法には客観性、合理性、一貫性が必要です。

30. 実務上の失敗例

30.1 評価方法を定めなかった

「会社価値に応じて支払う」とだけ定め、企業価値算定方法を明記しなかったため、退職時に対象者と会社が対立する例です。対象者はDCF方式で高い価値を主張し、会社は純資産方式で低い価値を主張します。契約に優先順位がないため、紛争化します。

30.2 役員報酬決議をしていなかった

取締役にSARを付与したが、株主総会で報酬枠・算定方法を決議していなかった例です。後日、少数株主や監査役から、報酬決定手続に瑕疵があると指摘されます。

30.3 税務上の損金算入を当然視した

役員向けSARを導入し、会社は損金算入できると考えていたが、業績連動給与の要件を満たしておらず、税務調査で否認される例です。

30.4 会計処理を後回しにした

導入時に監査法人へ相談せず、期末になって高額な負債計上が必要となり、業績予想、財務制限条項、IPOスケジュールに影響する例です。

30.5 海外従業員に日本版契約をそのまま使った

海外居住者に日本語のSAR契約をそのまま付与したが、現地の証券法、税務、労働法、為替規制に抵触する可能性が後から判明する例です。

31. 企業法務専門家から見た制度設計の勘所

31.1 弁護士・企業内弁護士の視点

弁護士・企業内弁護士は、制度の法的性質を明確にし、会社法、契約法、労働法、金融商品取引法、M&A契約、海外法務との整合性を確認します。特に、取締役報酬決議、個別契約、規程、退職時失効、紛争解決条項を重視します。

31.2 税理士の視点

税理士は、法人税法上の役員給与規制、損金算入、所得区分、源泉徴収、非居住者課税、消費税、支払調書、税務調査対応を確認します。役員向け制度では、税務要件を満たすかどうかが導入可否を左右することがあります。

31.3 公認会計士・監査法人の視点

公認会計士・監査法人は、費用認識、負債計上、公正価値測定、見積り、評価モデル、開示、内部統制を確認します。IPO準備会社では、制度が上場審査や財務諸表に与える影響を早期に把握する必要があります。

31.4 社会保険労務士の視点

社会保険労務士は、賃金性、就業規則、労働条件通知、退職時の取扱い、社会保険・労働保険、賞与支払届、労使トラブル予防を確認します。従業員向け制度では、説明と同意のプロセスが重要です。

31.5 司法書士の視点

現金決済型であれば登記は通常不要です。しかし、制度が新株予約権、種類株式、自己株式処分、株式交付型報酬へ変形する場合は、司法書士が会社法手続・登記実務を確認します。

31.6 商事法務・取締役会事務局の視点

商事法務担当は、株主総会議案、招集通知、事業報告、有価証券報告書、取締役会議事録、報酬委員会議事録、コーポレートガバナンス報告書との整合性を確保します。制度内容が複雑な場合、株主に対する説明可能性が重要です。

32. 実務的な結論 ― ファントムストック・SARの活用場面をどう判断するか

ファントムストック・SARを導入すべきかは、次の質問に答えることで判断できます。

  1. 対象者に実株式を持たせる必要がありますか。
  2. 実株式を持たせることによる株主管理コストを許容できるか。
  3. ストックオプションで目的を達成できるか。
  4. 会社は将来の現金支払を負担できるか。
  5. 評価方法を客観的に定められるか。
  6. 役員向けの場合、会社法上の報酬決定手続を整備できるか。
  7. 役員向けの場合、税務上の損金算入要件を満たすか、または損金不算入を許容できるか。
  8. 従業員向けの場合、労働条件・賃金性を整理できるか。
  9. 会計上の負債・費用を許容できるか。
  10. 対象者が制度内容を理解し、動機づけられるか。

これらに肯定的に答えられる場合、ファントムストック・SARは強力な制度になり得ます。逆に、評価方法が曖昧で、キャッシュフローに余裕がなく、会社法・税務・会計の検討を後回しにする場合、制度は紛争とコストの原因になり得ます。

33. まとめ

ファントムストック・SARの活用場面は、企業が「株式を渡さずに、株式価値・企業価値に連動した報酬を与えたい」と考えます場面です。

特に、非上場会社、スタートアップ、同族会社、M&A後のリテンション、PE投資先、海外人材、子会社経営陣、プロ経営者招聘、上場会社の中長期インセンティブ、研究開発型企業、事業承継では、ファントムストック・SARが実務上有効な選択肢となります。

ただし、制度の本質は「株式のように見えるが株式ではない報酬」です。この中間的性質こそが利点であり、同時にリスクでもあります。株主権を発生させない一方で、将来の現金支払義務、評価紛争、役員報酬規制、税務上の損金算入、会計上の負債認識、労働法上の賃金性、海外法対応が問題になります。

したがって、導入時には、単に海外事例や雛形を流用するのではなく、会社の資本政策、報酬方針、税務ポジション、会計方針、労務管理、M&A・IPO計画に合わせて制度を設計しなければなりません。

ファントムストック・SARは、株式を渡さずに株式価値を共有する制度ですが、成功の条件は、株式制度以上に明確な契約、客観的な評価、適正な報酬決定手続、税務・会計・労務の事前検証にあります。

35. 用語集

次の比較表は、この段落で扱う論点を項目ごとに整理したものです。制度設計や社内判断で見落としを減らすために重要であり、列の違いと各行の注意点を左から順に確認してください。

用語意味
ファントムストック実株式を交付せず、仮想株式数に応じて株式価値相当の金銭を支払う制度
SARStock Appreciation Right。基準価格からの株価・企業価値上昇分を受け取る権利
Vesting一定期間の在籍や業績達成により権利が確定すること
Good Leaver定年、死亡、障害、会社都合退職等、一定の保護を受ける退職者
Bad Leaver懲戒解雇、不正、競業、秘密保持違反等により権利を失う退職者
マルス条項支払前の報酬を減額・失効させる条項
クローバック条項支払済み報酬の返還を求める条項
業績連動給与利益、株価、売上等の業績指標に連動して支払われる役員給与
TSRTotal Shareholder Return。株価上昇と配当を含む株主総利回り
ExitM&A、IPO、ファンドによる売却など投資回収イベント
PMIPost Merger Integration。M&A後の統合作業
EBITDA利払い前・税引前・減価償却前利益。企業価値評価で用いられる指標
ROIC投下資本利益率。資本効率を示す指標
Reference

参考資料

制度や実務上の判断を確認するための公的資料・一次情報を整理します

  • 経済産業省「攻めの経営を促す役員報酬 ― 企業の持続的成長のためのインセンティブプラン導入の手引」
  • 経済産業省「スタートアップの人材確保に向けたインセンティブ報酬ガイダンス ― 人材獲得のためのストックオプション活用術」
  • 株式会社東京証券取引所「コーポレートガバナンス・コード」
  • 会社法(e-Gov法令検索)
  • Japanese Law Translation, Companies Act
  • 国税庁「No.5211 役員に対する給与」
  • 国税庁「No.1543 税制非適格ストック・オプションに係る課税関係」
  • 公益財団法人財務会計基準機構/企業会計基準委員会「第43回基準諮問会議資料」
  • 企業会計基準委員会「企業会計基準第8号 ストック・オプション等に関する会計基準」
  • 厚生労働省・都道府県労働局「労働基準法第24条 賃金支払の原則」に関する解説